こんんちは、総務のFです。
甲斐の虎と恐れられた戦国武将、武田信玄公の墓所”のお話を少しさせていただきます。
数ある墓所の中の1つで最も本来の墓”である可能性の高い場所とされる地である墓所は
信玄公の拠点 甲斐国山梨県甲府市内にあります。
旧躑躅崎館、今の武田神社にほど近い所に ひっそりと それ”はあります。
訪れる人は思いのほか少なく、風林火山の御旗(のぼり)も掲げてあるのですが
意外や大変地味な雰囲気です。
謙信公のように寺内にあるのでなく、観光地とは少し離れた場所にあるだけに余計に寂しく感じる
場所でした。
己の死を3年伏せることを遺言とした信玄公の骸(むくろ)はこの地にて荼毘に伏せられました。
墓石には「法性院大僧正機山信玄之墓」の名が見て取れます。
武田家は、天目山にて四郎勝頼が自刃し滅亡となります、お国替えを経て現世まで続いている
上杉(長尾)家との違いがこの墓所を見、肌身で感じてしまいました・・・・
3年この地で眠った信玄公の骸はその後、他に移されたそうであるが(諏訪湖の底で眠っているとの説もあり)
埋葬地は未だに不明とのことです。
墓所には県の天然記念物「岩窪ヤツブサウメ」をはじめとする木々が青々と生”を謳歌していたのが印象的でした。