» 音楽遍歴inマレーシアのブログ記事

残暑厳しいなか、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 

夏休みの宿題をやり切れずに終わった小4の次男が、小学生時代

長期休みの宿題を6年間一度もやりきらなかった高3の長男に

「お兄ちゃん、宿題せんと怒られへんかったか?」

と聞いて、安心しようとしているのを微笑みながら聞いている

開発Oです。

 

音楽話その8です。

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初の単独ライブ後、JAZZなどの生演奏が頻繁に行われるワインバーなどで

飲んでいると、そこのPAエンジニアなどに、

「お前達グッドフェラスでライブやったらしいな!」

「結構盛り上がってたらしいやないか!」

などと声をかけられることがちょいちょいありました。

狭い町中の狭いミュージシャンコミュニティーでも、素人がなかなか盛り

上がったライブをやったらしい、と噂になっていたようです。

 

 

2回目の催促がオーナーの娘さんから入ってくるので、その後も新曲の追加

やステージ構成など練りながら練習を重ね、2回目の単独ライブを行いまし

た。今回は口コミで噂が広まったか、はたまた過剰な宣伝を店側がやった

のか分かりませんが、1stセットから立ち見客が溢れるほど人がいっぱい!

歌っている私と、間近に立っているお客さんの距離は1mくらいしかありま

せん。前回以上に白人客が多い状況でした。

2ndセットも同様でしたが、何とか無事に終わりました。

前回の問題曲も何とかクリア。

 

その後どういうつながりでそうなったのか忘れましたが、現地で

日本語放送をしているラジオ番組への出演依頼がありました。

 

マレーシアは当時のマハティール首相が欧米ではなく日本や韓国

に学ぶべし、というルックイースト政策を掲げていたので年間に

多数の留学生が日本の大学に来ていたこともあり、日本語を話す

ことはもちろん、漢字ひらがなを使って読み書きできる人も多数

いましたので、日本語番組も一定数のリスナーがいたようです。

 

肝心の出演は、担当の女性が録音機材持って、我々の練習して

いるスタジオに来てインタビュー及び演奏を録音という形。

ちなみに取材に来た女性も日本語ペラペラです。

 

後の放送本番のものはカセットテープで頂きました。

インタビューのBGMには我々の演奏が流れ、インタビューのコメントに

うまくはまった効果音入れたりしてなかなかおもしろく編集されていま

した。

 

以上最初で最後の現地公共電波に乗る、の巻でした。

 

今回は写真が無いので、本文と関係のない現地の

きれいなリゾートの写真を。。

東マレーシアのまだ先のシバダン島

有名なダイビングスポットです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいや、ほんとに暑い日が続きますね。

皆さん夏バテされていませんか?

昨年はこんなに暑かったかなー、と毎年思ってしまう

開発Oです。

マレーシアに駐在している時は、暑いかあまり暑くな

い、くらいの気候変化で何年か滞在していると、体が

適応して発汗量が減少したりするんですが、日本はや

はり四季があるせいで、毎年新鮮に暑さを感じます。。

 

さて連載シリーズ第7弾です。

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ライブ出演のOKが出たパブ、「Good Fellas」での単独ライブ

に向けて、2部に分けたセットリストやステージ構成などを検討

しながら、練習を重ねました。その直前の週末にはKL日本人会

の屋上で他のバンドとともにライブ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただの屋上で高台にある建物なので、かなり近所迷惑だったと思いますが

苦情はなかった模様。( ̄∇ ̄;)

 

そしていよいよ本番当日。

その日はゴルフの誘いも断り、夜に向けて体調を整えました。

この日はオルガン奏者が自分のハモンドを実戦投入するという

事で運搬がてら迎えに行き、少し早めに到着。

全員が揃ったところで、店の規模を考えて最小規模としたPA

やアンプのセッティング。

完了後軽くリハーサルをして、お客の入りを待ちます。

 

さてここで軽くメンバーを紹介。

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ギター

大手旅行代理店の現地支店勤務(当時)

現在現地で自営業。

当バンドのリーダー

 

ギター

中小ソフトウェア会社のオーナー社長。

現在もマレーシアと日本行ったり来たり。

親父の影響を受けた息子さんは現在プロのベーシスト

 

ベース

中堅自動車部品メーカー勤務。

現在は日本在住。ほとんどプロみたいな人。

 

ドラム

中小切削メーカーのオーナー社長。

JAMAM代表者。

 

ピアノ

中小切削メーカーの現地責任者(当時)

現在はドラムSさんの会社勤務。本職フルート。

奥さん中国系マレーシア人(日本語ペラペラ)

 

オルガン

大手通信社現地支社勤務のジャーナリスト

プロデューサー的役割。一旦帰国後、現在ベトナム支社駐在。

奥さんベトナム人(日本語ペラペラ)

 

サックス

大手ゼネコン(デベロッパー)のプロジェクトマネージャー

プロジェクトに応じていろいろな国に駐在経験あり。

日本帰国→ハワイ(?)→オーストラリアを経て現在再び

マレーシアに駐在中。

奥さんタイ人(日本語ペラペラ)

 

ブルーズハープ

超大手総合電機メーカの営業マンで元ラガーマン。今サーファーらしい。

現在ニューヨーク駐在。未だ独身。

 

ボーカル

私。メッキ会社勤務。

奥さん日本人。(英語は7年いたけどボディランゲージ中心)

 

とまぁ職種、立場、年齢、境遇、おまけに音楽的なバックボーン

まで奇跡的に見事にばらばらな9名です。利害関係もなし。

現在は2名日本、5名マレーシア、1名ベトナム、1名アメリカ在住

となっています。日本在住がマイノリティですな。。

でも仲間内の掲示板やらFBやらで、昔より常に近くに感じられる

のはありがたいことですね。

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さて、19時辺りからJAMAMの仲間たち5〜6名を筆頭にちらほら

お客さんが入り始めました。

ほとんどが白人。たぶんオージー。

 

席が埋まり始めたところで、いざスタート!

オーナーの娘さんや、店員のマレー人、JAMAMの仲間たちが

良いノリで盛り上げてくれたこともあり、大いに盛り上がり

1stセット約1時間を終えました。途中リクエストがお客から

入るアクシデントには、「俺らは、そんなんせーへんのや!」

と無視してやりました。(笑)

小一時間の休憩中益々お客が増え、2ndセットのスタート!

バラードっぽいスローブルーズ1曲のみ被りましたが、他は

確か別々の曲を演ったと思います。

踊り出す人がいたりして、一段と盛り上がりました。

が、最後の曲。

「Mojo Walking」

という定番のブルーズナンバー。

もともとキーがきつかったのですが、2ステージ目の最終と

いう事で私の肺活量が不足、そんなに鋭くもない音感までもが

狂ってしまい、最初からほぼ全編およそ半音外し続けるという

あかんやつをかましてしまいました。(TωT)ウルウル

これがトラウマになり、その後この曲はレパートリーから

消えることになります。。。

 

それでもオーナーの娘さんは大いに満足してくれた様子で

何でも好きなだけ飲んでいいわよ〜!

という事でしこたま飲んで帰りました。

以後「次いつやってくれるの?」攻撃の電話がリーダーを襲いました・・・

 

当時の写真がこれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おっと、夜の酒場なのにちびっ子もおる。

この子達もほとんどお酒が飲める年に今はなっています。(笑)

では。

W杯サッカー、、日本負けてしまいましたね。。。

残念。。

内田選手が言っていたように、現在の小・中・高でプレーしている

子供たちの中から、世界的なストライカーが誕生して欲しいもの

ですね。

 

私の好きなラグビーでは、最近ジャパンがテストマッチ9連勝

というニュースもあるので、次はラグビーを応援しようと考え

ている、開発Oです。

 

自分で書いていてフィクションのような錯覚を覚えていますが

連載シリーズ第6弾です。

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大盛況のうちに終わった初めてのイベント後、私の所属バンドの

ベーシストが帰国、代わりにロック大好きベーシストやトランペ

ット、トロンボーン、などをやる人たちが新たに参加するように

なり、うちのバンドには、Jazzバンドとロックバンドを兼任して

いたベーシストに参加してもらうことになり、トランペットとト

ロンボーン奏者も加わることになりました。

 

その後、今回のパーティーを見た皆さんからそれぞれのコミュニ

ティで小規模ながら演奏依頼(我々はお座敷と呼んでいます(笑))

があったりして、新たに私の所属バンドとJPOPバンドを合体して

お座敷用ユニットを結成したりしていました。

 

そして2回ほど「JAMAM」としてのイベントを行いました。

2回目はツインタワーにほど近いレストランを借り切って

Let’s Party!!

⇒ここはその後日本食レストランになりました。

 

2回目の模様。

 

 

この時は超ファンキー路線で攻めていた、JPOPバンドにコーラスで

参加した写真です。ちなみに左端が私で、右端は私のバンドのドラ

マーで全体の代表者でもあるSさんです。

誰だか分かりません。 ププッ ( ̄m ̄*)

 

 

 

この時も満員御礼でした。

 

また、この時観客の中に、後のメンバーとなる仲間も何人か

いました。

 

その後、私の所属バンドのギタリスト、トロンボーン奏者と

トランペット奏者が相次いで帰国、新たなギタリストとサッ

クス奏者、ブルーズハープ奏者、オルガン奏者が参加する事

になりました。

そう、自称「ごーるでん9」の9名が集結したのがこの頃です。

 

この9名が集まった頃から、

・バンドとしての完成度を高める

・本気でやる

・ステージに上がればプロもアマチュアもない

・プロジェクトXの取材が来るまでがんばる・・・・・・くるかいな!

・いつかスタジアムネガラでライブをする・・・・・・・お金払ってもやれんわ!

 

というように、いっそう本気でやる遊び、という空気が

強まり、妄想も膨らんでいきました。(爆)

私は、「いくら演奏者がうまくても、やはりお客さんが観る

のはボーカルで、うまくいくのも失敗するのもボーカル次第」

というようにプレッシャーをかけられ日々鍛えられる毎日。

 

そして順調にバンドとしてのレパートリーも増え始めた頃です。

「JAMAM」全体としてのイベントでは物足りなくなり、我々

1バンドだけでライブをやりたい、という意識が高まってきま

した。

 

そしてメンバー中、在馬歴の長いギタリストでもあるリーダーの

選定を頼りに、デモテープを作り、あるパブに持ち込みました。

パイロットをしている、気の良いオージーがオーナーの店で普段

はブロンドの娘さんが切り盛りしている店で白人客の多い店。

KLど真ん中から少し外れた、アンパンポイントという場所にあり

ます。

 

こちらの条件は、

ギャラは無し。

PA等機材費用は店持ち。

ちゃんとお客にウケればライブ後タダで飲ましてくれ。

というたいへん良心的なものです。(∩.∩)

 

とりあえずデモテープを聞いて連絡してくれ、という事で

1杯飲んでその日は帰りました。

 

それから2〜3日したころでしょうか、リーダーの携帯にオージーの

オーナーから連絡が!!!

 

 

「条件はOK!、いつできる?   いつでもいいよ」

 

 

さぁ初の単独ライブです。

詳しくは次回に。。。

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

最近腰を痛めてしまいました。。。

絶好のゴルフシーズンで、実際に予定も目白押しなのに

たいへん憂鬱な開発Oです。

 

本日は連載シリーズ第5話です。

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日本人向ミニコミ誌などを通じて参加募集などをした事もあり

その後続々と参加者が増え、

ブルースバンド

ロックバンド×2

ジャズバンド

JPOPS(懐メロ系)バンド

というバンド数になり、人数も30名近くになりました。

 

2回目の催しをやろうという盛り上りの中、一度参加者全員で

食事でもしながら企画を練ろうという事になり、とある週末に

KL近郊のレストランの大きな部屋を借りて、初回のミーティング

が行われました。

 

その冒頭に、せっかくこれだけのメンツが揃っているので正式に

団体名を名乗ろう、という意見があり、結果

Japanese Amateur Musicians Association of Malaysia

略して

 

JAMAM(ジャマム)

 

と決まりました。

代表者はその人柄から満場一致で、ドラマーのSさんに決まり。

その後会場の選択、各バンドの演奏時間・順序・役割分担や

コントリビューション(ラッキードローの景品集め)どうするか

などを決めていきました。

 

会場は、KLど真ん中に位置する4つ星ホテルのプールサイドを

借り切って、ビュッフェスタイルの食事。ドレスコードは「花」。

 

会場のパークロイヤルホテルスカイプールがこれです。

奥の枠部の奥にステージがあります。

 

 

あとは、各バンドが本番に向けて構成打合せや練習を重ね

パーティーの宣伝も、チラシを配ったり日本人向メディアに

掲載したり、皆さんがいろいろ動いてチケットはどんどん

売れて、、、、ってうそうそ、実際は参加者が買い取って

知り合いを招待していたのも多かったのではないかと。。

 

景品の方も、皆さんそれぞれの仕事や趣味の関係を通じて

丁寧なお願いと宣伝の約束をして集めた好意の品がどんどん

集まっていきました。

 

後に大きな日本人コミュニティ(よりパブリックな団体)が

イベント用に、半ば脅迫まがいの景品集めをして問題視され

ていましたが我々はそんな事してません(笑)

 

うちの奥さんも近所の奥さんと花の模様の入ったワンピースを

しつらえて準備完璧。

私もBlues Brothersよろしくブラックスーツにブラックタイを

伊勢丹KLCCで新調!

フロントマン2名はこれで揃えました。

 

 

 

そしてあっという間に当日。

お客さんは皆さん思い思いの思い切ったおめかしをして

どんどん集まってきます。なかなか普段、機会がないの

で皆さんそれ自体が楽しそう!

子供たちもたくさん来てくれました。

 

18:00くらいからいよいよスタート。

子牛の丸焼き初め豪華な料理が運ばれ、まずは食事!

 

食事が行き渡った頃から、比較的静かな音楽から演奏開始。

 

我々は最後から2番目の演奏なので2時間近く待ち。

緊張が途切れずきついがな(笑)

 

途中、当地の№1プロギタリストがJAZZバンドに乱入し

その華麗な演奏と美声を披露、まさにプロです。

大いに盛り上げてくれました。

 

そしていよいよ我々の番。

I Can’t Turn You Looseのイントロにのってボーカル二人が

入場。間髪入れず、Bluesを2曲。

ここで私が大失態。

構成を間違えてしまいました。皆さんのアドリブで事なきを

得ましたが、ビデオには横でギターを弾いているリーダーに

裏拳でどつかれている様子が残りました(笑)

 

そして最後の曲前に少しMC。

ピアノ担当の奥さんとそのお姉さんがコーラスで、JAZZバンド

のドラマーがティンバレスでゲスト参加してくれるのでこれを

呼びこんで最終曲!

 

たいへん盛り上がって、トリのRC&永ちゃんバンドにバトンタッチ。

ここでますます最高に盛上って演奏全体が終了。

 

最後にラッキードローをやって終わったのが22:00

超えてたと思います。

 

大きなトラブルもなく大成功に終わりました。

 

人前で演奏する楽しさ、楽しんでいる人達を見る嬉しさを

全身で感じた一夜でございました。

 

以降我々の独立した活動もスタートしていく事になります。

 

第6話に続く

 

 

 

 

 

STAP細胞は存在するのか?

という話題が各メディアでさかんですが、、、

開発部門にいる関係で、他人事ではないという内容が多い

ですね。

先入観なく、結果や事実を真摯に見つめる、エビデンスを

残す等の大切さを改めて感じ、自分の仕事を顧みています

今日この頃。。

開発Oです。

 

プライベートの回顧録であります、音楽話その4です。

最近は2回に1回のペースになってますが、、、

以下、どうぞ。

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先日のライブで火が付いた参加者の皆さんは、以降新たなメンツが

加わったり、新たなバンドが発足したりして、ますます盛んに活動

されようとしていました。

そんな折、ドラマーのSさん(本業は中小精密切削メーカー社長)

から電話が。。

「Oさん、サックス持ってたよね? それ貸してくんない?」

 

そう、実は私、アルトサックス持ってたんです。

学生時代はスポ根系バスケ部の活動とバイトで、楽器を触る機会

もその気も皆無であったのですが、ある日テレビでみた演奏を見

て密かに欲しいなぁと思ってたサックスを結婚後のドタバタにま

ぎれて買っちゃってたんですな。

ちなみに、その時見たのはニューヨーク・ステイト・オブ・マインを

歌うビリージョエルのバックで吹いているデビッド・サンボーンで

した。

 

そらーかっこええがな、っちゅう話ですね。

 

私の腕前はというと、たまに休日ぷーぷー鳴らす程度でちゃんと

吹けませんでしたがなにか?

ヾ(ーー )ォィ

 

 

話戻りますが、新たに結成されたブルースバンドでSax吹きたいと

いう御仁がおられる、という事だったので、娘を嫁に出す心境で

練習スタジオへ届けました。

以前と違い、私の会社から近いSubangという地域の商店街にある

スタジオ。

 

ライブで見た人に加えて、仕事で会った事のある人がいたりして

盛り上りながら練習を見学。他人のおっさんに咥えられる我がSax

を見ながら、、

 

曲名は分かりませんが、なんか聞いたことのある曲でした。

 

それから2週間後くらいでしょうか、ドラマーSさんから電話。

「Oさん、このあいだのバンドで歌わない?」

ちょっと躊躇しましたが、一度練習に参加させてもらう事にし

ました。

ブルースバンドですが、誰でもわかる曲を1曲入れようという事で

バブルガムブラザーズの「Won’t Be Long」が候補曲にあり、これ

を歌ってみろ、っちゅう事でした。

 

まるでオーディション。。

みんなの目がちょっと真剣で怖い。(・Θ・;)アセアセ…

 

なんとかノリをくずさずに歌えたようで、正式に参加する事に

なりました。

すでに参加していたボーカルと合わせてツインボーカル。

 

その後、課題曲として渡されたCDがこれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

70年代関西を中心になって起こったブルースムーブメントの

中心にいた、「WEST ROAD BLUES BAND」です。

はい、知りませんよね?(笑)

 

その世界では超有名です。

 

で、思い出したのがその5年前くらいにドラムをやっている友人と

そのバンドのギタリストといっしょにこれも有名な地元の老舗ライ

ブハウス磔磔へ行った時に見たライブ。

 

梅津和時(RCサクセションでも吹いたりしているSax奏者)の連続公演

最終日で、バンドメンバーに近藤房之助や小島良喜。更にゲストとし

て当時解散していたWEST ROADのフルメンバーによる再結成という

ものでした。

 

出演者ピンとこない?

近藤房之助:踊るポンポコリンのインチキおじさんで一般的には有名

なブルースシンガー&ギタリスト。

 

小島良喜    :KUWATA BANDに参加、井上陽水や浜田省吾のツアー

メンバーも務め、1音でグルーブ感を出すと言われる凄腕キーボード

プレーヤー。

 

 

って書いてもわからない?

まぁそれは良いです。(笑)

たいへんな盛り上がりで楽しいライブだったのですが、実はその時

聞いた曲に、今回の課題曲があったのです。

 

なんか縁を感じる、曲(Blues)との出会い。。。。。

 

この時の課題曲2曲(Won’t Be Long以外)は、その後バンド活動停止

まで歌い続けることになるのでした。

 

その5に続く

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

駐在経験者で食べてない人いませんよね?

マレーシア華人オリジナル料理

肉骨茶(バクテー)

金曜日のお昼時無性に食べたくなります。じゅるり。。。

 

 

 

 

 

 

 

ようやく暖かくなり、春らしくなってきましたね。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

開発Oです。

 

本日は不定期更新の音楽編その3です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ライブデビューから間もなくの事でした。

ドラムのSさんが別の日本人コミュニティーのバンドに参加

する事になったと連絡が。。。

見学がてらスタジオ練習に同行する事になりました。

 

スタジオの第一印象。

「普通に町中にええとこあるがな!!

オレらどんだけ辺ぴなとこ行っとってん!」

と突っ込み。(笑)

 

 

皆さん初めまして、と挨拶もそこそこに皆さんの演奏が

始まりました。永ちゃんやRCなどをコピーしていましたが

皆さんお上手!

大きな商業地の近くにあったので、練習後チャイニーズの

オープンレストランでビールをひっかけるところまでお付

き合いしました。

メンバーはリース会社の方、自動車部品メーカーの方、海運

関係の方で、まさに異業種交流会です。

年代は私よりは3〜10歳先輩の皆さんでした。

 

 

それから一か月位たった頃でしょうか、このSさん達のバンドを

含めた10人くらいがKLの中心部にある小さめのホテル内レストラ

ンを借りてライブをやるというお知らせを受けました。

何やらパーティー形式で、ドレスコードがあり自宅にある不要な

ものをラッキードロー(いわゆるくじ引きですね)の景品として

提供して下さい、っちゅう事でした。

 

 

私はデビューライブを共にした、大手書店チェーンのベーシスト

Nさんと2人で誘い合って行く事に。。。

提供品の扇風機を抱えて。。。(笑)

 

 

ライブは何人かのメンバーが演奏カテゴリーごとに入替ったり

していくつかのジャンルをやってました。

それぞれ独立したバンドというよりは、ボーカルが異なるユニ

ットが複数あり、バンドメンバーは掛け持ちという感じ。

 

最後まで観客として楽しませてもらいました。

ノリの良い、ええ客だったと自画自賛しておきます。( ̄∇ ̄;)

 

 

しかし、これが後に組織される、巨大日本人音楽コミュニティー

の原形となろうとは、この時点では演奏者も観客も誰1人考えても

いなかったのでした。。。

 

 

巨大、、っていうところはちょっと盛りましたが何か?(笑)

 

その4へ続く。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

マレーシアの代表的庶民の朝食ナシレマ

 

 

 

 

 

 

 

 

ジュルっとヨダレが出ます。。

本ブログを見た、マレーシア在住の友人でバンド仲間の

ギタリストから、

「過去の栄光は捨てて、今を歌え〜!」

という突っ込みを受けてますが、そんな声に負けずに書きます。(笑)

開発のOです。

音楽編その2、事実上のイントロです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

マレーシアに赴任して3年が経った頃です。

当時、当社の現地顧客の日系中小企業が設立10周年を祝って

パーティーをされるとの事で、余興やる人を探されていまし

た。

その頃、たまたま仕事で打合せていた別の顧客がかつてドラ

ムを叩いていたことを知った当社の現地責任者が

「Sさん、バンドできない?」

「M社さんが、余興やってくれる人探してててねー」

「どお?」

 

と、打合せに乱入。。。

Sさん

「いやーバンドつっても一人じゃできないし。。。」

「Oさんなんかできないの?」

 

「は〜?、昔会社の忘年会でバンド組んで歌ったことあるくらいですわー」

 

Sさん

「よし、決まり!Oさんボーカルで!  あと探さないとなー。。」

 

「はぁ〜?!  マジで?」

 

てな事で、やることに決まりました。(爆)

 

このSさんですが、少し前に私の住んでいたコンドミニアム

が水不足で約2ケ月断水だった時期に、家族全員でお風呂を

借りて以来、仲よくさせてもらってた人です。

私んちはトイレを流す水が無いのに、Sさんの住んでるコンド

では子供がプールで泳いでました。。。

後に、私たち家族がここに引っ越したのは言うまでもありません。

 

その後、Sさんの住んでるコンドミニアムの知り合いで某大手

書店チェーンの現地責任者の方がベースができる、ということ

で参加が決まりました。それからはちょくちょくSさんの家で

どんな曲をやるか打合せを重ることになります。

しかしリズム隊のみでは成立せーへんがな!

ギターがいるなー

よし、みんな

ギタリスト

さがそー!!

 

 

と、その週末。

KL中心部にある練習スタジオで、ギターを見つけたと一報!

企業研修という事で、フランスから来ている学生さん。

正式採用前の外国研修ということで、米系企業の現地工場に

来ていたフランス人の少し小生意気な(笑)奴でした。

 

これで一応バンドできる、ということになり、Sさんの会社

のバンドやってる社員に紹介してもらったスタジオで練習が

始まりました。

 

半径2km以内にまず日本人はいないだろうと思われる地域に

あり、違法賭博ゲーム屋らしき店の2階にあるスタジオです。

大丈夫か?ここ。。。

が第一印象。

 

しかし実はマレーシアのオリコンの様なチャートでトップ10

に入ったことのあるバンドメンバーが関わっているスタジオ

であることが分かり、彼らにもパーティー参加を呼び掛けた

ところ、OKとの事で話がまとまりました。一応プロなんで

何かしらギャラは発生していたと思いますが、あまり覚えて

ません。

 

指が痛いしもう弾けない、とすぐに言い出すフレンチ小僧に

文句言ったりしながらも幾度か練習を重ねた後、本番を迎え

ました。

例のプロは私たちの前座 。。

 

ん?

 

 

 

ってなんでやねん!

順番違うやん!

(;^_^A ・・・

 

 

私たちの曲目は

Hey jude

Wonderful tonight

なんかを演ったっけ。。

 

でもまぁそれなりに盛上って、記念すべき私のマレーシア

でのバンドデビューは何とか終わりました。

後にこの時のビデオを見たバンド仲間は、私を見てその

クオリティーの低さに抱腹絶倒することになりますが。。。

(* ̄∇ ̄*)

 

その後フレンチ小僧の彼女がマレーシアに来たので

彼女も交えて打ち上げやったりして終わりました。

 

これを機に、徐々にどっぷり音楽と関わるようになるのですが

この時点では知る由もなかったのでありました。。。

 

その3へ続く

 

 

 

 

 

 

皆さんおはようございます。

開発Oです。

前々回の予告通り、今回より音楽ネタを何回かに分けて

お届けしたいと思います。

※営業U君のライブ報告にも触発されてます(笑)

 

それではまずはこれを、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がマレーシア駐在時に参加していた「Deep South Blues Band」

というバンドの自主製作アルバム「Nobody’s Business」です。

※ジャケ写真⇒歌っている私 ( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと2枚組19曲入り!!

バンド名通り全編ブルーズのオリジナルアレンジです。

英語版ライナーノーツもついてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは異国マレーシアで出会った、年齢・職業・音楽的なバックボーン

までバラバラな9名の日本人が約2〜3年間の活動後、休眠直前に制作

したものです。

ギター×2、ベース、ドラム、ピアノ、オルガン、アルトサックス

ブルーズハープ、ボーカル、という豪華な構成。

 

いかにしてこのアルバム制作にまで至ったのか?

数年間分の記憶を辿りながら、次回から詳しくお伝えしていこうと

思います。

マレーシア事情など織り交ぜながら、、、

 

では。

 

 

 

 

 

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