» 2014 » 1月 » 14のブログ記事

この冬一番の寒波だった3連休は皆さんいかが

お過ごしでしたか?

開発のOです。

今日はちょっとオモーイお話しを。。。

以前に友人がFBにアップしていたことで知ったのですが

ウルグアイのムヒカ大統領がRio+20地球サミット2012

にて行ったスピーチの内容です。

世界一貧しい大統領とも言われている人で、報酬のほとんど

を寄付し、大統領公邸には住まず、郊外にある質素な自宅で

暮らし、資産は中古のワーゲンのみらしいです。

元左翼ゲリラで中道左派という、政治信条や背景は別として

環境問題の本質を突いているスピーチ内容と思います。

残念ながら日本のメディアではまったく報道されていないそ

うです。

以下は、日系ユースネットワーク総会長の打村明氏が全文翻

訳し、自身のブログで公開されたものです。自由に転載可能

のため、内容を紹介します。

では、かなり長文ですが、最後まで読んでみて下さい。

========================================

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。

私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直

な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。


午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。

私たちの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください


ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるので

しょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70

億?80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?


可能ですか?


それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限

の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造

り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたので

はないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼー

ションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」と

いうような共存共栄な議論はできるのでしょうか?

どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。

その逆です。

我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。

逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために

生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのため

に人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひた

すら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば

不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければな

りません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たな

い電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良

くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨

ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。

これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導

かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならな

いと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく

無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさん

には水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければ

ならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。

私の国には300万人ほどの国民しかいません。

でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800

万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに

領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では

6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事

もしており、結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?

バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、

ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。

私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます

これが人類の運命なのか?

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすもの

でなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして

必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。


環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということ

を覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

========================================

おぉ、最後まで読まれましたね!

いかがでしたか?

2、3年前から「断舎利」という言葉をよく耳にするようになり

ましたが、その意味するところと同じことかもしれませんね。

私はこれを読んだあと、ちょっと考え込んでしまいました。

未だに自分の答えは見つかっていませんが。。。

でも、子供たちやそのまた子供たちの暮らす世界が美しい自然の

消えていない世界であって欲しいものです。

 

 

 

 

 

 

 

2014年1月
« 12月   2月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

カテゴリー